その年に収穫されたコーヒーの中から最高品質のものに送られる「カップ・オブ・エクセレンス(Cup of Excellence)」の称号。国際審査員によって厳格に評価され、全生産量の数%にも満たないわずかなコーヒーのみが得られる、最高品質の証です。大阪東洋珈琲では、この称号を勝ち取ったコーヒーを取り扱っています。
丁寧に摘み取られた完熟豆からなるスペシャルティコーヒーは、格別の味わい。時間と手間を惜しみなく注ぎ込んだ農場主の努力が、産地ごとに異なるコーヒーの個性を存分に引き出しています。
大阪東洋珈琲では、焙煎一筋50年の焙煎職人が長年の勘と技術で、すべての商品の焙煎を管理しています。
日本には四季があり、気温・湿度と豆の性質によって焙煎機の温度や焙煎時間を調節する必要があります。どれだけ優れた豆でも、焙煎の過程をおろそかにすると、味を損ねてしまいます。この微妙な管理だけは、どうしても機械に任せることができません。
毎日手間暇をかけて、単品豆を1種類ずつ最高の状態に焙煎、ブレンド。少ない量で焙煎すると美味しさが引き出せないため、5キロ以下では焙煎しません。様々なこだわりが、コーヒー豆の持つ本来の味を最大限に引き出し、東洋珈琲の味を支えているのです。手入れが行き届きピカピカに磨かれた焙煎機は、職人の情熱の証です。
コーヒー豆は酸素に触れると酸化して味を損ねるため、できるだけフレッシュな状態で密閉する必要があります。ところが、焙煎後のコーヒー豆からは二酸化炭素が放出され続け、密閉してしまうとパッケージが破裂する可能性があります。
当店のパッケージには、特殊バルブを使用しており、コーヒー豆から放出される二酸化炭素を外に逃がしながら、外からの酸素の侵入を防ぎ、フレッシュな状態を維持することができます。袋を開けた瞬間に漂う、香ばしいコーヒーの香りをお楽しみください。
コーヒーの粉をペーパードリップにセットしたら、表面を均等にならしてください。分量はお好みですが、コーヒー1杯に対して10~12gが適量です。
中央におまじないの穴を開けましょう。そこに95~6度程度のお湯を注ぎます。中心部分からお湯を回しかけ、表面がハンバーグ状になったら、30秒程度そのまま蒸らしてください。
円を描きながらお湯をさらに回しかけ、ハンバーグ状の表面を維持しながら膨らましていきます。膨らむ過程で白い泡が出てきたら、コーヒーが新鮮な証拠です。ドリッパーの上部まで珈琲を立ち上げていきましょう。
この時、水の流れが変わってしまうため、フィルターに直接お湯がかからないよう注意してください。
コーヒー豆の分量に対して適量のコーヒーが入ったら、残っている湯は捨ててしまって構いません。少し多めのお湯でたてて、完全に濾される前に捨ててしまう方が、雑味のないコーヒーに仕上がります。
出来上がったコーヒーをカップに注げば出来上がりです。
私は、軍人だった父の赴任先、満州で生まれました。
終戦後、ソ連軍が押し寄せてくる最中、まだ赤子だった私を連れ家族は命からがら日本へと敗走。
しかし、私の父は現地に残りました。
家族や部下、関係者を全員逃して、全ての責任を背追い込んだ父は、ほどなく拘束され銃殺。父らしい最期でした。
その父が助けた中国人の部下の方々の助力によって、残された私たち家族の命も助けられたのです。
父亡き後、私たち姉弟を女手ひとつで懸命に育ててくれたのは母でした。辛抱強く、自分を押し殺してでも人に親切にする、優しくて強い人でした。しかし、時代は敗戦直後の混乱期…育ち盛りの私は山で虫や果実を食べ、空腹をしのぎました。
やがて高校生になったある日、先輩に連れていってもらった喫茶店で飲んだのが、コーヒーとの出会いです。
初めて口にしたコーヒーの味と香り。未知との出会いの衝撃は、以降憧れの存在として私の脳裏に刻み込まれました。
義兄に誘われてコーヒー会社の経営に参画した私は、お客様に喜ばれる美味しいコーヒーの研究に明け暮れました。
その甲斐あって天皇陛下に献上するコーヒーを決める品評会で一位を獲得。
それが、「皇室珈琲」です。
大阪東洋珈琲が追い求めたコーヒーの味が認められた歓喜の瞬間でした。
順風満帆に見えた会社を大きな苦難が襲います。義兄の死、そして阪神淡路大震災による社屋の崩壊。商いは壊滅状態に陥りました。
途方に暮れていた私を救ってくれたのは、他でもない「皇室珈琲」を口コミで買い続けてくれたコーヒー好きのお客様達でした。
「コーヒーとともに過ごす貴重な幸せの時間を、皆様と分かち合いたい。」
再起を決意したあの日から、20年以上が過ぎました。変わらない想いを込めて、これからも美味しいコーヒーをお届けしていきます。